「邪教・幸福の科学」の正体

30年の活動信者。退会後のカルトを語る。

神を信じるか、大川隆法を信じるか

「邪教・幸福の科学」の正体 - 虚業教団

しかし、私にはまだ妻がいる。

離婚は話し合いがついていたが、高校生の娘が大学受験を終えるまでは、籍だけ残しておこうという話になっていた。

いまではそれが、身勝手な父親である私が娘にしてやれるたった一つのことだった。

このことを話すと、大川は驚いた顔をした。

「エッ、まだ籍が抜けてなかったんですか。それは知らなかった」

いつも、私たちのすべてを見通しているようなことを言っている大川が、こんな重大なことを見落としていたとは。

「あと二カ月で娘の入試が終わります。それまで、このままではいけませんか」

「いや。私のことも、もう発表してしまわなければならないし、それは困るよ。何とかなるでしょう、関谷さん」

いまや、大川と私は師弟の関係にある。

まして、その師は天上の世界から直接指導されているのだ。

人間の浅知恵では計り知れない大計画が、こうして一歩ずつ実現されようとしているのかもしれない、と私は考えた。

私もまた「マインド・コントロール」によって正常な判断力を失っていたのである。

その場は「すぐにでも妻と話し合ってみます」ということでお開きになった。

家に帰っても心が落ちつかなかった。

独り暮らしのマンションで何度も繰り返した。

まず大川主宰がご自分の結婚の話題を半減させたいという、その心理はいったい何だろうと考えた。

(そういえば、若い女性とのデートすら、先生は一度も経験したことがないと聞いたことがある。そんなことからくる、先生特有のテレなのだろうか)

(それにしても、私と妻との現状を、まったく霊視できなかったのだろうか。

この結婚は、中原と私の一生を左右する重大事である。すべてを見通したうえでのお話しではなかったのか)

(もしかしたら大川先生は、じつは異次元など何も見えない、頭のいいだけの人間なのだろうか。自分の都合だけを優先させ、他を思いやる愛のない人なのだろうか)

そうした考えに行き着くたびに、私は何度も首を振った。

(いや いや そんなことは絶対にない)

この夜、私の頭は混乱しハッキリした結論はついに見出せなかった。

 

《神を信じるのか、大川隆法を信じるのか》

 

私は常々、自分は〈幸福の科学〉という小舟が、大型船となって大海へ乗り出すまでの臨時の乗組員に徹すべきだと考えていた。

大きな船になり、本格的に大海原を走りだしたら、もっと優秀な、若くて元気な人たちが帆を上げ、舵を握るだろう。

そのときまでの縁の下の力持ち。

私にはそれが相応しい。

次のクルーに胸を張って船をあずけられるよう、指導グループの一員としてこの舟を守っていこうと決めていた。

(そのためにも、いまは大川先生の言葉を信じよう)

そんなふうに私は自分を説得した。

(こんな私にも、大きな使命があると言われるのだ。何を迷うことがある。命懸けで自分の使命を果していこう)

一日も早く離婚手続きをすませ、先生との同時結婚式を挙げなければならない、と私は観念した。

急流を下る小舟の揺れは大きい。

私の心も大揺れに揺れた後、大川隆法を信じ切るほうへ落ちついていった。

このときから大きな不幸が始まった。

信じれば信じるほど苦しみが増した。

本源の絶対神を信じたつもりでいた。

だが実際は大川隆法という人物を信じようとしていたのだ。

妄信狂信に走ったと非難されても しかたないだろう。

世の中には、残念なことに、信仰ゆえに陥る不幸というものがたくさんある。

それらはすべて、信じる対象を取り違えたところから起きてくるもののように私には思えるのである。

このことは合同結婿式で有名になった統一教会にもあてはまるだろう。

世界の宗教を統一するという原理思想は確かに素晴らしい。

しかし信者たちは、その思想より、それを語る文鮮明を信じ、文鮮明という人物に我が身をあずけ、

ついには合同結婚式という非人間的なものにも平気で自分を従わせてしまったのではないか。

私たちの〈幸福の科学〉も、この悲劇と無縁ではなかった。

信者同志の結婚は教団組織を固めていくためである。

後でも触れることになるが、私の知るかぎり当時の〈幸福の科学〉では、五つか六つの神託結婚が大川によって命じられた。

それをきっかけに会を離れていった者もいる。

結婚はしたものの長続きせず、互いに深い傷を負って別れた夫婦もある。

今日まで続いているのは一組にすぎない。

その一組も、それまでのカップルを強引に引き裂き、別の相手と結びつけたものだったから一騒動 持ち上がっている。

誰の心にも大きな傷を残した。

どのケースも〔幸福〕とは かけ離れたものだった。

ほんとうに天が望むなら大川が何をしなくても、いずれは結ばれたに違いない。

なぜ大川は〔神託〕などという言葉を持ち出し、そこに不自然な手を加えようとしたのか。

言うまでもなく会の組織づくりのためである。

ここで、当時の中原幸枝と私が、会に占めていた位置を考えてみよう。

すでに述べたように、中原は初期〈幸福の科学〉の物心両面での最大の支柱であった。

彼女なくして〈幸福の科学〉は存在しなかったと言っても過言ではない。

いっぽう私は、大川の目には会の経済的な支援者と映っていた。

彼の『幸福の科学入門』という本の中で、私は大黒天の一人として紹介されている。

釈迦が教えを説き始めたとき、土地の長老が精舎(僧院)を寄進し、物質面から僧侶集団を支えた。

法が説かれるところには必ずそういう経済的支援者が現れる。

それが大黒天であり〈幸福の科学〉には三人の大黒天がいると大川は書いている。

第一の大黒天が私。

第二は秋山行男。

第三は高橋守人だった。

この三人の大黒天は、現在一人も会に残っていない。

機関紙や『高橋信次霊訓集』の発行に尽力した高橋はパージ同然のかたちで会を去った。

秋山のほうは、新事務所への移転に際しOA機器やデスクをはじめ一切の什器類を寄贈してくれた会員である。

その後 大川があまりに彼を持ち上げたため「まだしぼり取られるのか」と気味悪がって退めていった。

新しい会員を集めるのもいい。

しかし草創期に、おのれの何がしかを犠牲にして活動に打ち込んだ大黒天たちが なぜ去っていかなければならなかったのか。

それを反省することなしに会のほんとうの発展はありえないだろう。

精神的支柱であった中原と、物質的支援者である私。

この二人を組み合わせようとしたところに、したたかな計算を見るのは私の邪見だろうか。

しかしそうでもなければ、まだ離婚も整わない私と、結婚などまるで眼中にない中原を、誰が強引に結びつけたりするだろう。

(二人が夫婦として尽くしてくれたら、会にとってこれ以上ない強力な武器だ)と考えて、まるで将棋の駒を動かすように、私たちに神託結婚を命じたのだろうか。

その判断は読者に委ねるしかない。

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