「邪教・幸福の科学」の正体

30年の活動信者。退会後のカルトを語る。

大川ファミリー経営/出版ルートの確保

「邪教・幸福の科学」の正体 - 虚業教団

《大川ファミリー経営の企業=幸福の科学

 

昨日まで一会員だった木村恭子が、結婚によって、たちまち主宰補佐になったときも、会員のほとんどは当然のこととして受け止めた。

しかし学習団体であったはずの〈幸福の科学〉が、いわば縁故関係から一会員を主宰補佐という重要な職に任じたとき、会は明らかに変質していた。

これは大川隆法の出身大学である東大の学長夫人が、副学長になるようなものなのである。

私立大には理事長という職がある。

その奥さんが副理事長になるならわかる。

理事というのは教育に携わるのでなく、経営を担当する役職なのだから。

大川夫人が補佐になったという事実に、主宰や補佐が実は〈幸福の科学〉の経営者であったことに、私たちは思い至るべきだったのではないだろうか。

そういえば善川夫人(中川君子)も顧問として特別な立場にいる。

さらに主宰、主宰補佐、顧問にはかなりの額の〔役員報酬〕が支払われていることも忘れてはならない。

「でも大川隆法の莫大な印税の中から支払われているのだから、たいしたことないでしょう。息子が稼いで、親に仕送りするようなものだから」

と言う人がいるかもしれない。

多くの人が〈幸福の科学〉の経費は本の印税で賄われていると思っているようだ。

確かに次々にベストセラー入りする本の印税は莫大な額にのぼる。

もちろん大川の本がベストセラーになるのには仕掛けがある。

まず会員になるには本を10冊読まなければなれない。

また新しい本が出版されるたびに、会員は半ば強制的に20冊30冊と買うことを要求される。

ベストセラーにならないほうがおかしい。

その印税は、すべて大川の個人的な収入になるのである。

少なくとも、私が脱会するときまではそうだった。

会員に買わせた本の印税が個人の収入になる。

これは常識的に考えてもおかしいと言わざるをえない。

あるとき会の運営費が不足したことがある。

「先生の印税を会に入れてもらえませんか」

ある局長が何気なく言ったとたん、主宰先生は烈火のごとく怒ったものだ。

印税のうえに、会の経費から主宰、主宰補佐、顧問夫妻に〔役員報酬〕が支払われる。

大川や善川がそれを受け取るのはいいとしよう。

しかしどうして、大川夫人や善川夫人にまで〔報酬〕が払われるのだろう。

これでは、どこにでもある中小企業の経営体質とほとんど違いはない。

大川ファミリーが経営する会社。それが〈幸福の科学〉の実態だった。

直接経理にタッチしたこともある私は、彼らにどの程度の額が支払われていたか知っているが、それは敢えて言うまい。

役員報酬〕の多寡が問題なのではない。

ひとつの組織として見たとき、そこに見えてくるのは日本的中小企業の姿だと言いたいのである。

それは、法を学び法を広めようとするサンガーとは異質なものではないだろうか。

私がいた89年夏までの〈幸福の科学〉は、それでもまだ神理を学ぼうとする人々の熱烈な思いによって成り立っていた。

しかし〔大躍進の年〕とされたその年を通過すると、会員を集め、金を集めることに熱中する集団ができあがってしまった。

そんな中から3000億円の献金を集め、都心の一等地に77階建てのビルを建設するなどという、破天荒な構想も生まれてくる。

その寄付の募り方が、さすが元商社マンだけあって独創的である。

何十万、何百万という単位で会員から借り入れる。

利子は会への寄付になる。

無利子、無期限で借金するようなものだろう。

一人で何千万も出す人もいれば、何人か集まり10万、20万をつくる人たちもいる。

何千円といった端数は受け付けないところが、実にドライだ。

仮に返還を求める人がいたら、その分は、ほかの会員からの借入金で穴埋めする。

しかし天上界という担保があるから、返還を求めるような会員はめったにいない。

実に〔天才的な商法〕ではないか。

支部には月毎に何億というノルマが課せられる。

それがまたちゃんと集まってしまうのである。

しかしノルマを与えられる支部長は決してラクではなかっただろう。

後になって私はよく思ったものだ。

「たくさん人を引っかけて一緒に金儲けしようや」とでも言ってくれたら、どんなにか気楽だったことだろう。

たぶん喜んで一緒にやったに違いない。

けれど、これほど一生懸命になることも、またなかっただろう。

ちなみに「こんなことをしたら、どれぐらい引っかかるか」という表現は、私の在籍中でさえしばしば耳にした。

会員には信じられないという人が多いと思う。

しかし残念なことに、これが〈幸福の科学〉の経営陣の姿勢だった。

 

《「生命線」出版ルートの確保》

 

ここで〈幸福の科学〉のいわば生命線であり、会の発展に大きな貢献をした〈幸福の科学出版〉の設立について述べておきたいと思う。

ご存じの方も多いと思うが初期の霊言集は、潮文社から出版されていた。

大川の霊言テープあるいは原稿を、善川が持ち込んでの出版だったらしい。

ところが八冊目か九冊目で、潮文社社長のK氏と大川父子が対立した。

原稿はできても本にしてくれる出版社がない。

困っているところへ助け船を出したのが、やはり中原幸枝だった。

中原の紹介で、彼女の本を出版したことのある土屋書店がピンチを救うことになった。

また高橋守人が社長をしていたコスモ印刷の協力で、幸福の科学出版名で『高橋信次霊訓集1・2・3』や『神霊界入門』を出している。

第三の大黒天と言われた高橋守人も〈幸福の科学〉の草創期から関わり、苦い思いを抱いて去っていった仲間の一人だった。

現在は、会とは独立したかたちで、幸福の科学出版株式会社が出版活動をおこなっているが、そのもとになった幸福の科学出版は、

もともと高橋が大川に提案してつくられたものと記憶している。

大川もいずれは本格的な出版社を持つつもりでいたのだろう。

出版社を興したら重責に据える約束で、高橋に全面的な協力を求めた。

前記の四冊などは、出版経費の全額をコスモ印刷で負担している。

機関紙の印刷も原価でおこない、会員への発送も会社で引き受けるという献身ぶりだった。

しかし幸福の科学出版株式会社が設立されてみると、高橋のポストはどこにもなかった。

彼が憤るのも当然だろう。

この事件ついては、高橋本人が雑誌やテレビで告発しているので、ここでは詳しく触れない。

1987年の12月24日、幸福の科学出版株式会社設立。

こうしてあらためて振り返ってみると、吉祥寺の料亭で大川の婚約を知らされる、わずか二日前である。

発足記念講演会から約一年。

大川にしたら得意の絶頂だったに違いない。

出版社はできたが、しかし大手取次店である日販も東販も相手にしてくれなかった。

幸福の科学〉も大川隆法も、一般にはまだ無名に等しい。

得体の知れない宗教団体がつくった出版社など、誰もまともに付き合おうとしなかった。

印刷することはできるが、書店には並べられないという状態だった。

出版責任者の細田局長が、半年以上も前から流通ルートの開拓に汗を流していたが、どうにもメドが立たなかった。

「関谷さん、顔の広いところで何とか道がつかないだろうか」

局長会議で大川に言われ、私も困ってしまった。

クルマの販売なら「任せておけ」と胸を張って答えられる。

が、畑違いの本ではどうにもならない。

ただ自動車販売の関係者に、あの人ならあるいはと思う人物がいた。

東販と直接コネクションのあるA氏である。

幸いなことにA氏の紹介で私が東販を訪れると、話はウソのようにトントン拍子に運んだ。

東販の出版コードがとれたとわかると、日販もスンナリと受け入れてくれた。

人の繋がりとは、まことにありがたいものである。

この時点での会員数は、まだ2000人ほどだった。

本が全国へ一斉に流れてこそ、今の〈幸福の科学〉があることを思えば、A氏の尽力を得て、まさに私が〈幸福の科学〉の基礎造りをしたことになったわけだ。

会は大川主宰一人が大きくしたのではない。

出版部門一つとっても、潮文社のK氏から はじまって、さまざまな人間の助力があった。

どの人が欠けても、今日のような発展はなかっただろう。

その中には大川から〔石もて追われた〕ような高橋守人も もちろん含まれている。

しかし中小企業の社長によくあるタイプだが、大川は徹底したワンマンだった。

人材登用の仕方がすこぶるうまい。

同時に切り捨てるときは容赦なく、どんな古参の幹部でも遠慮なく左遷し、同じ人間は決して長くまわりに置かなかった。

この〔恐怖政治〕は、幹部や職員のあいだに大川のイエスマンでなければならないという空気をつくっていった。

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