「邪教・幸福の科学」の正体

30年の活動信者。退会後のカルトを語る。

悲しくそれぞれの道へ別れて/建て前だけの与える愛

「邪教・幸福の科学」の正体 - 虚業教団

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大川から各局長あてに〔綱紀粛正〕なる通達が出されたのは、1月7日のことである。

 

事務局長/総務局長/指導局長/推進局長

1/7/89 大川

〈綱紀粛正〉

1、阿南氏

当会幹部としての発言、行動が社会的常識に欠け、三宝帰依の精神がない。また自己変革の意思がない。

*来週より二週間、自宅での反省を命ずる。

*指導局課長解任。

*青年部講師、当分の間資格停止。

*二週間の反省期間後、多少本来の姿になっておれば、事務局付で勤務、又は大阪への配転を考える。

反省の色がないようなら、退職勧告をする。

(中略)

〈全体的展望〉

1、当会の性格からいって師と弟子の信頼関係は絶対必要。高級霊への信仰も必要。

神を裁く性格の人は居られない。〔正しき心の探究〕の基準の運用による破門も検討の必要がある。

2、今回は青年部講師再考のよい機会。人生経験未熟で大人になりきっておらず、

社会常識を疑われる講師の登用は避け、〔研究員〕あるいは〔研究生〕とする方向へ切り替え必要。

 

通達は、大川が自らワープロ打ちしたものだった。

こうした事件の、いったいどこに愛があるだろうか。

神様の気まぐれとも思える神示をぶつけられ、悩まない人間がいるだろうか。

本人には、どうしても理解できない問題だから悩む。

そういう人間の心を、主宰は一片の通達によって残酷に切り捨てたのである。

師と弟子の信頼関係を破壊しているのは、はたしてどちらだったか。

人生経験未熟で大人になりきっていないのは、大川自身ではなかったろうか。

この事件があって、中原幸枝は出勤を拒否するようになっていった。

 

《悲しくそれぞれの道へ別れて》

 

道を求める真剣さにおいて、中原幸枝と阿南浩行は初期〈幸福の科学〉の双壁だったと言える。

阿南事件が中原にもたらした衝撃は非常に大きかった。

二人が仲よしだったからだけではない。

おそらく中原の心の中で、大川に対する何かが崩れ去ってしまったのだ。

疑い、不信が一気に噴き出してきた感じだった。

一分の疑念を飼い馴らしながら活動していた私のような人間とは違い、中原は切ないぐらいに純粋だった。

主宰先生のために死ねと言われたら、死にかねないほど一途に打ち込んでいた。

その主宰先生には愛のかけらもない。

あれほど愛を説きながら、どこにも愛の実践がない。

神理というのは、口先だけのおしゃべりだったのか……。

ひとつ屋根の下で彼女を見ていた私は、その絶望の深さを言いあらわす言葉を持たない。

「いや何かある。後になって〔ああ、あれはこういうことだったのか〕と私たちが気づくような、何か深いお考えがあるに違いない。それを信じてみよう」

ずっと大川信仰の浅い私が、そんなふうに彼女を励まさなければならなかった。

設立準備の頃から超人的なパワーで働いてきた中原の、心と体を支えていたものがプツリと切れたようだった。

それまで溜まっていた疲労がドッと襲ってきた。

彼女は体の不調を口実に事務所へはあまり顔を見せなくなった。

大川のほうも、中原に異変を感じとったのだろう。

会の顧問か参与に昇格させるからと、慌てて言ってきた。

地位を与えたり解いたりすることで、人の心までコントロールできると思い込んでいるのが大川主宰だった。

どういう形で断ったかは知らないが、そんなものに魅力を感じる彼女ではなかった。

2月頃からは、もうほとんど出て来なかったのではないだろうか。

そのまま中原は会を去った。

こうして大川は最大の協力者、会の土台を築いた第一の功労者を失った。

同時に最も真剣に神理を求めた、一番純粋な〈光の天使〉を見失ったのである。

そして私たち「夫婦」は、話し合って仲良く離婚した。

まるでブレーキが利かなくなったように〈幸福の科学〉はこの年から露骨な拡張路線をひた走っていくことになる。

中原にくらべると、私はずっとしぶとかった。

阿南の処分にどうしても納得できなかった私は大川に直訴した。

「高い次元から見ている主宰には、いろんなことがおわかりでしょう」

高次元にいる自分の考えなどお前たちにわかるはずがない、というのが大川のログセだった。

だから言う通りにせよ、というのが主宰の論法なのだが、そこを逆手にとるしかないと私は考えた。

正攻法で攻めても、いつものように「霊が言ってるんだ」で煙にまかれてしまうのは目に見えている。

「阿南を呼びつけて、低次元の人間にもわかるように、どうか諭してやってください。先生にしかわからないことが、いっぱいあるんですから」

大川は不機嫌にむっつりと押し黙っていた。

せっかくの戦法も、これでは役立たない。

その後も、この話題になると大川は急に不機嫌になり、胸襟を開こうとはしなかった。

2月2日に事務局から〔阿南元講師に対する当会の基本的考え方〕という配付文書の原案がまわってきた。

見ると次のような五つの項目が挙げられていた。

 

1、基本的視点

2、講師像の認識不足

3、問題認識の欠如

4、高級神霊に関する批判的態度

5、社会的常識の欠如

 

それぞれの欄に、阿南に対する批判がビッシリと書き込まれていた。

(もう阿南が去っていくのはしかたないな)

もはや私には何もできない。

(いろんな問題があったとしても、このブッタサンガー〔布教団体〕に代わるものはないのだ。

一時的に阿南が離れるのだと考えればいい。

それも彼にとって何かの意義があるだろう。

阿南には悪いが、そう信じよう)

しかし、これほどの苦しみを背負って去っていく者に、こんな悪口だけを並べてハイさよなら、というのではあまりではないか。

それだけは絶対に許してはならない。

そう考えた私は、次のような文章を最後に追加させた。

──以上の如く、当会の発展途上の現機構には即さない為に本部を退職しましたが、法を学ぶ熱意、

その他優れた点も多く持っており、本部としては暖かく見守っております。

配付文書では、わずか三行。

それを加えさせるのが私にできる精一杯のことだった。

せっかく神示をいただきながら従おうとしない、このアーナンダに職員全体が批判の目を向けていたのである。

去っていく阿南のために、中原と私、そして彼を兄弟子として慕っていた伊藤博樹で別れのテーブルを囲むことにした。

私は残務があり欠席したが、食卓に料理が並ぶ前に、昨日まで尊敬してやまなかった兄弟子を、伊藤が口汚く罵り始めたという。

中原もただあっけにとられた。

「目ン玉をくり抜いてやろうか」

そんな暴言まで飛び出した。

思いがけない成り行きに、阿南はジッと耐えるふうだった。

しみじみと語り合いながら別れを惜しみたいというささやかな願いはかなえられなかった。

料理が運ばれてきたが、誰も手をつけずに外へ出たのだった。

私は、この話を中原と阿南に後で聞いた。

悲しかった。

無性に悲しかった。

私たちは一生懸命になって、いったい何を造りあげてしまったのだろう。

ともに同じ道を歩いてきた。

同じ理想を目指し、ともに学んできた。

その仲間が、なぜこんな憎しみを抱き合うようになるのか。

しかし歴史には、そんな例がたくさんある。

愛を求め、平和を求め、ユートピアを求めた者同志が、何を師とするかによって最も激しく憎み合ってきたのである。

街の灯は、それぞれの心の中の苦しみなど知らぬ顔で、コートにくるまった三つの体を冷たく照らしていたに違いない。

同じ道をきた三人が、いま別々の道へ歩み去ろうとしている。

伊藤も阿南も、中原も。

そして私もまたもうひとつの道を歩まねばならない。

 

《建前だけの「与える愛」》

 

阿南は去った。

事件は会を大きく揺るがし、会員を動揺させた。

なかでも古い会員が受けたショックは小さなものではなかった。

2年後のフライデー事件とともに、良識ある会員の心を〈幸福の科学〉から遠ざけることになったできごとだった。

しかし会は、何事もなかったかのように活動をつづけた。

この年の会の課題のひとつは、本部講師の知的レベルのアップだった。

私を含めて六人いた本部講師が、大川隆法じきじきの特訓を受けることになった。

毎週木曜日に研修ホールでおこなっているセミナーの後で、本部講師は質問を提出することというお達しが出ていた。

質問の内容で講師としての力量が問われる。

講師同士がライバル意識を燃やし、今まで以上に真剣に講義に耳を傾けた。

翌朝一番で、大川に質問状を提出するのである。

一日おいて、大川からの答えがワープロ打ちされて返される。

六人全員の質疑応答集として戻ってくることになっていた。

こういう面では、主宰先生は労を惜しまない努力家だった。

このQ&Aは順調に進み、何週間かするとかなりのファイルがたまった。

2月のある週に『イエス・キリストの霊言集』が講義で取りあげられた。

霊言集の解説だったが、心に染みる愛の言葉が大川の口からは次々と気持ちよく語られた。

その夜、私は一行も書き出せないまま、レポート用紙の前に座りつづけた。

大きな疑問があった。

阿南事件の残り火が心にまだくすぶっていた私は、大川の素晴らしい愛の講義のあいだも、その疑問をどうしても消せずにいた。

それを押し隠したまま、あたりさわりのない質問をすることはできない。

(この質問状で、阿南の処分に対する疑問を率直に投げかけてみよう)

ようやく腹をくくったときは、すでに夜が明けかかっていた。

しかしそれは、大川に対する重大な挑戦を意味していた。

ハッキリと反旗をひるがえしたことになる。

これまで最も身近な弟子として、常に私は主宰先生の傍らにいた。

会員なら羨まない人はいない、垂涎の的とも言えるポジション。

このまま黙ってついていけば、その座は安泰である。

損得だけを考えたら、百人が百人ともおとなしくしているだろう。

けれど、私の正義感が、求道心が、もはやそれを許さなかった。