「邪教・幸福の科学」の正体

30年の活動信者。退会後のカルトを語る。

K教団の金銭感覚…在家時代を振り返る(2)

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組織に溜まる不満

熱烈信者であればあるほど、教祖や教団の方針に疑問や不満を持つことを自分に禁じます。

それは「疑」であり、「悪魔のささやき」であるから、「不満も疑問も持ってはならない」と、一種の宗教的な「禁止令」を自分に対して発令するのです。

そうした典型的な熱烈信者でも、現場で活動していると疑問に思うことが増えてきます。

二度目の選挙の時です。

支部で選挙運動のために毎日婦人部の人たちと行動しているうちに、彼女たちと連帯感のようなものが生まれてきたころ、彼女たちの本音を聞く機会がありました。

毎日手弁当で活動している女性信者が、活動にお金を使っているので、教祖のビデオを見るお金がない苦しみ語ってくれました。

当時のビデオは、選挙運動の活動のエネルギー源でした。

それを聴いて、自分を奮い立たせて活動したかったのです。

特に一度目の選挙で惨敗した後は、在家の活動信者は自分を奮い立たせるものが欲しいのです。

でも、お金がないので見ることもできない。

それほど活動していない一部の裕福な人はビデオを見ている。

活動してお金を吐きだしている婦人部の人は見れない。

これは不公平ではないかという不満が溜まっていて爆発寸前でした。

彼女たちに懇願されて、支部長にお願いしました。

支部長は地方本部長と相談して、ごく一部の人にだけ、こっそりビデオを無料で見せるという裁量を示しました。

「教祖の方針には表だって逆らえない。しかし、不満が広がらないようにしたい」という思惑が透けて見えるようでした。

この経験から、在家信者の中に溜まっている布施を巡っての激しい不満と、教祖のあくまでお金を払わせろという強硬な方針、そのはざまにあって政治的な裁量をする現場の組織の実態に触れました。

観自在のはずなのに、教祖は現場の信者の気持ちを感じ取っていないように思えました。

それがとても疑問でした。

 

最初に感じた在家信者の怒り 

教祖と教団の方針や指示に対して、激しい怒りを感じたこともありました。

最初の選挙の時です。

教祖が気に入らないと、選挙活動の途中にもかかわらず政党の党首の首を何度もすげ替えました。

党首の変更に伴い、その都度ポスターが取り替えられることには、正直言って怒りを覚えました。

一枚のポスターを張らせていただくだけでも、在家信者が一生懸命に地主さんにお願いして、さんざん断られた末にようやく一枚張らせていただくという、まことに手間暇のかかる仕事です。

党首が変わるたびに、そのポスターを貼り換えなければならず、それまでの苦労と捧げられた時間が無駄になります。

徒労でした。

さらにカラー刷りの豪華なポスターの印刷費用も、信者の方々の懸命の布施で賄(まかな)われているにもかかわらず、それが次々と無駄になっていくのです。

「一体何のためにこれだけ党首を変えるのか。

信者ですらもうはや党首が誰かわからない。

それでいてK党の名前の認知度をあげたいと望むのは、あまりにもばかげている。

お金も時間も全部無駄にしている。」

そう思い、怒りを感じました。

そして選挙期間中も教祖が次々と出してくるDVDの説法を見ました。

最初の選挙では、こうしたDVDは、どの支部でもほぼ無料でボランティアで選挙活動する信者に見せていました。

しかしそれをあとで知った教祖が激しく怒り、お金を取るように厳命したと聞きました。

あまりのがめつさにあきれるとともに、事あるごとに金を吸い取ることしか考えていない教祖の方針に疑問を感じ始めました。

国のためにK党のために、仕事を休んでまで駆け付けた人々への感謝もなければ、その労に報いるでもなく、あくまで信者からお金を吸い取ることしか考えていないことを知ったからです。

そのあげくに、何人目かの党首に、教祖自らが立っての惨敗です。

2週間というもの、仕事を完全に中断して選挙運動に専念してきましたので、活動と結果のあまりのお粗末さと、時間とお金と労力を布施してくださった信者さんたちの真心を無駄に浪費してしてゆく姿を見て、怒りを覚えたのでした。

「信者の尊い布施や献身を何と考えているのか。」

「切り詰めた生活の中から絞り出して捧げてくださった尊い行為を、いとも簡単にどぶに捨てるような真似を、どうしてできるのか。」

「教団には現場の人の気持ちが何一つわからぬ証拠だ。」

「教祖は現場の人の思いも苦しみも分かってはいない。

教祖は信者の気持ちが何一つわからないのではないか」

と、そう思い始めましました。

布施はお金だけではありません。

捧げられた時間も、奉仕もすべて布施です。

それを少しでも大切にし、一つも無駄にしないという精神が、この教団運営からは消えていました。

これはとても傲慢な、感謝のない姿だと思えてなりませんでした。

 

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